今回は趣向を変えてBLOG
エコ声主催・
EBRTEEトピック「"持続可能な社会"ってどんな社会?」についてちょっと考えてみたいと思います。
まずは「持続可能な社会」とはなんぞや?ということですが、定義としては
『現在と未来の人類の生活を脅かさず、かつ資源を枯渇させずに発展する社会』
または
『他生物、生態系、その他のあらゆる地球上の"自然"を大きく傷つけることなく発展する社会』
であるとされています。
この定義から考えると、現在の状況は残念ながら「持続可能な社会」からほど遠いと言わざるをえません。 このままいけば遅かれ早かれ、なんらかの「破滅」をむかえることは悲観的観測などではなく事実でしょう。
それでは「定義通りの持続可能な社会」、果たしてこれは実現可能なのでしょうか?
この答えは少なからずNOであると私たちは思っています。 環境への影響、またはダメージなくしては生物は生活を営むことはできないからです。
たとえばリサイクル。
繰り返し使うわけですからたしかに資源のむだづかいを減らすことは出来ますが、その一方で今度はリサイクルをするために使われる資源の存在を忘れるわけにはいきません。
最近よく聞くようになったソフトエネルギー(再利用可能エネルギー)も、その施設を作り上げるために必要な資源や周辺環境への影響が無視できません。
「無駄」「余分」「必要のない」ものがあってこその「人間社会」ですし、それこそが「人」という種を形作っている、大事なもののひとつです。 そして一体なにを「余剰」と呼ぶのかは、個人それぞれの基準と価値判断によるもので、一概に『これは無駄だ』と決められるものでもないということが難しいところです。
しかしもちろん、だからといってすべての「余剰」のものが必要不可欠ということではありませんし、そういうものばかり供給し続ければいいということでもありません。
そのような社会だからこそ、このままではもうやっていけないということに一人でも多くの人が気付き自覚することが必要であり大切だと思うのです。
「人間に関して未知の要素は、人間の選択能力である」とは、アメリカの歴史家トインビーの言葉ですが、その未知数の人の選択に影響を与えるのは、個人の持つ知識や情報です。
「エコロジー的」な考え方には、どうしても何かを「我慢する」「あきらめる」というイメージが先行します。 そうではなく、知識や情報を駆使して「譲歩」「等価交換」できるようなものを自分で探し、なにかしらの形で変えよう、貢献しようとするその行動や過程に意味があると考えています。 個人の選択のひとつひとつは、とても小さなものでしょう。 けれどそれが積み重なることで初めて形になる、それこそ未知数の「エコ」もあるはずです。
その昔「I have a dream…(私には夢があります)」と人種間の平等な世界を夢見た人がありました。 彼はその時代、誰もが気付かないふりをしていたことをはっきりと口にすることで、その問題を「問題」として人々に認識させ、「種」をまくことに成功しました。 それから40年、現代の社会が決して彼が夢見たとおりだとはいえません。 けれど彼のまいた「種」は確実に芽吹き、その夢を共存する人々によって努力が続けられています。 民族や宗教、人種を越えたその努力こそが、彼の夢見ていた世界なのではないでしょうか。
今、私たちが目指そうとしている「持続可能な社会」もまた壮大な夢です。 それでも夢を共有する人々によって、たとえ方法や考え方が違っても努力は続けられていくのでしょう。
そしてその「夢」に到達しようと共に歩む道こそが「持続可能な社会」なのではないかと、私たちは思います。
最後になりましたが改めてこのような機会をくださった
「持続可能なチャンネル」のESDさん、
「エコロジストでいこう!」のシュトウさんに感謝します。m(_ _)m
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